長い人生の中, 芸術の都パリに住んでいた時期があるのって素敵ですよね. “A bad day in Paris is still better than a good day anywhere else” というのは明らかに誇張ですが, このような傲慢な表現が許されてしまうような場所ではあります.
2022年3月29日から9月27日までの半年間, フランス・パリのソルボンヌ大学・LIP6 というコンピュータ・サイエンスの研究機関に留学してきました. メンターは Sebastien Tixeuil という分散アルゴリズムを専門とする方です. 研究テーマはリスク下でのマルチエージェント経路計画. 滞在中に論文を一本仕上げました.
大学に入るまで海外に行ったことがなく, その後も二週間程度の滞在が最長でしたので, 今回が人生初の長期滞在 になります. 卒業を控えた博士課程3年次での留学というと博打のように聞こえもしますが, それは全く逆の話です. 個人としての研究スタンスを確立しつつあるこのタイミングでヨーロッパに長期滞在したことは, 計り知れないメリットがあった ように思います.
では本文.
記事の目的 / 誰向け?
- 基本的には他の人が読めるレベルの 内省 です. 各所に報告義務があるので, ちゃんとした文章を生成しておくと自分に役立つから書いています.
- 先人の体験記 に各方面で何らかの形で助けられた気もするので, 自分も残しておく次第です.
- フランス語は(今も)全くわからないし英語もぼちぼちな人間の生存例です.
- 後半のネットワーキングの話は珍しいかも.
あなたは誰
東京工業大学 情報理工学院の博士課程 (2020-) の学生です. 研究対象は「大規模な移動エージェント群を制御すること」. 詳しくは ホームページ見て. 最近 ACT-X が当たったので頑張ります.
動機
大前提としてあるのが, 今後アカデミアで研究者をやっていくのであれば海外経験は半必須 いう認識です. 同意は取れなくていいですが, 多くの方が暗に感じていることだとも思います. 理由? 東工大の指導教員(フランス人, EPFLでPhD)が言っていた「研究者に国境はない」ほど説得力のある言葉はないでしょう…
ですので, 博士課程のどこかで留学を入れることは必要な単位を取るようなもの でした. また, 博士号取得後にどこかのタイミングで海外に長期滞在することを想定していたので, 学生のうちに予行演習的な期間があっても良いという動機もありました.
とは言っても学部の頃から研究者っぽいキャリアを考えていたわけではないです. むしろ, 研究生活以前で学位を伴わない留学の意義が分からず消極的でした. 修士の頃はとても忙しかったので, 留学が頭に浮かんだのは修士課程の終わり頃(2020年頭)です. ただ, コロナで時勢が劇的に変化したこともあり, 博士課程の1年目は目前のことに取組んでいました. その後, 時間が経過しても社会情勢が良くなる気配が全くなかったので, 痺れを切らして2021年3月から具体的な話を検討し始めました.
当時のノートを掘り出してみると, 受入れ先としてソルボンヌ大・LIP6 を含む4つの候補を出しており(全て別の国), すべてに妥当な動機がありました. 恐らくどこに行ったとしても, それなりのワークをしていたと思います. その中でも LIP6 に決めた理由は以下の通りです.
- 受入教員とはお互いの研究をよく知っている関係で, 指導教員との繋がりも強かった. 時勢が不安定な中でも親身にサポートしてくれる期待ができた.
- 研究としてもう少し分散チックなトピックを深めたかった. その意味で受入教員は良い共同研究相手だった.
- 卒業後, 他の機関に行くことはあっても LIP6 に長期滞在する機会はないと思った.
- パリはネットワーキングの拠点として最適だった (後述).
パリという街に惹かれて選んだわけではないです. むしろ LIP6 がパリのど真ん中にあることを後ほど知り, かなり驚いた記憶があります. 物価やべぇよ.
指導教員, 受入教員ともにすんなりと承諾してもらった気がします. ここにトラブルはなかった.
留学に行くまで
当初は2021年内からの留学を予定していましたが, パリのコロナ状況を見て, また, 書類の関係で何回か延期しています. 結局, 初動から1年かかってパリに到着した のでした… 記憶している手続きを書き起こしておきます.
教訓: ビザが面倒, とにかく早めに動くこと .
資金
言うまでもなく留学のボトルネックの一つはお金です. 今回は完全に個人予算で賄っています.
メインの資金としては JSPS 若手研究者海外挑戦プログラム を使いました. これには「連続して3か月以上, 研究のために海外に滞在した経験がない者」という条件がつきますが, 申請書が2ページ, 採択率が 50% ほどで, 往復の航空券+140万円(場所に依存) が支給される, 大変使い勝手の良いプログラムです. 申請書の内容が甘かったんですが, 幸いにも補欠繰上げで採択されました. スケジュール(2021年)は以下.
- 4月: 応募書類締切. JSPS に直接提出しましたが, 学内の機関を通すルートがあったようです.
- 7月: 通知
- 11月: 繰上げ連絡
ただ, 駄目だったときのバックアップとして, 事務と相談の上, 学振DC1の予算 + 吉田育英会ドクター21の補助を用意していました. ですので資金面の心配はほぼありませんでした.
※ DCと吉田は現在は併給できないので, 恐らくこの技が使えるのは私しかいないです. これら資金はパリから他都市に遠征するときに使わせていただきました. また, 残予算は今後有意義に使います.
東工大からの留学許可
これは大して問題ありませんでした. そもそも報告義務が必要なのかよく分からない…
ソルボンヌ大からビザ発行に必要な書類の手続き
インターン扱いで"convention de stage"という書類を発行してもらいました.
この発行がとにかく時間を食いました. 何ホップかの書類リレーが基本なのですが, どこかで連絡がスタックすることが多く(だいたいソルボンヌ側), メールをしても連絡が一週間以上返ってこないのはザラです. 忍耐力が強化されました. 誰かを責めているわけではなく, 関わる人数が多いと大変だということです. 関係者の皆様, 本当にお世話になりました.
住居
値段の関係で選択肢はあまりなかったです. Cite U(パリ国際大学都市)という, パリ中心から南の方, 14区にある各国の研究者・留学生向けの学生寮を手配しました. この手続きはスムーズでした.
学生じゃなかったらソルボンヌの寮を手配できるはずで, そちらは大学近くにあるらしいです. 次からはそうする.
ビザ
2022年2月中旬に仏大使館に行きましたが, 書類不備で一度差戻されています. 大使館の予約はなかなかとれない ので, 三週間ほどのタイムロスを食らいました. 飛行機の予約をはじめ, 各方面のリスケジュールで頭が痛かったです. 最終的にビザは3月20日頃に発行されました. JSPS の予算が年度内の出発を対象としていたので, 年度内にビザが発行されなかったらどうしようかとビクビクしていた記憶があります.
なお, 仏大使館は自宅から歩いていけるので助かりました.
語学
フランス語は微塵も分かりませんでした. 今も挨拶程度しか把握してないです. たぶん一年いたら勉強していたと思います.
英語も流暢ではなく, リスニングも普通に苦戦します. が, 指導教員との研究ディスカッションはずっと英語でしてきたので, 研究であれば何とかなっていますし, 実際何とかなりました.
その他
海外保険, 学振DCへの留学申請, 吉田育英会への連絡, 航空券の手配, 自宅の処理など.
留学してから
(大雑把な地図)
キャンパス
「ソルボンヌ大学というのはパリにある大学の総称で…」という見識をもった方がいらっしゃるかもしれませんが, それは少し古い情報です. 大学の統合が進んだ結果, 2018年にそういう名前の大学が誕生しています.
(キャンパスの入口)
私が通ったキャンパスは旧パリ第6大学のもので, LIP6という名前は “Laboratoire d’Informatique de Paris 6"に由来します. このキャンパスは文字通りパリのど真ん中にあり, ノートルダム大聖堂などは歩いて10分かかりません. セーヌ川沿いを歩く毎日の通学路がとても素敵で, よく思索にふけったものでした. セーヌ川の20時頃には魔法がかかるのだ.
(通学路)
研究環境
受入教員とは主に週一の対面ミーティングやランチ等で研究の話を摺合せしていました. 渡航前からオンラインで打合わせを始めていましたが, 現地に行くことで研究が飛躍的に進んだと思います. ディスカッションがリアルタイムにできることに加えて, 日本でのワークをあまり気にせず研究に集中できる環境が大きかった.
居室について, 同室の博士学生が一人いたのですが, 彼はほとんどスイスに出払っていたため, ほぼ独占状態でした. もうちょっとガヤガヤした場所に身を置くことを想定していたので, ちょっと残念でした… エアコンがないので夏場は図書館に避難していました.
(LIP6でのデスク)
当初のゴール
トップカンファに十分通る内容の論文を一本というのが望ましい結果です. が, 慣れない環境に身を置くので, 全く研究が進まないことも覚悟していました. 業績より経験の方が大事 でした. とは言いつつ, このフェーズで半年も時間を割くのであれば論文を書かないのはナンセンスなのだけれど.
また, ネットワーキングを重視 していました. これについては後述します.
研究スケジュール
まだ論文を公開していないので, ざっくりとした情報だけ.
- 2-3月: オンラインでテーマ決めのブレスト, 意義固め. 3月末に渡航.
- 4-5月: 理論よりの話. 毎日白紙に永遠と何かを書いていた記憶があります.
- 6-7月: 実践よりの話. コーディング & 実験, 論文執筆. 他にも締切が大量にあったのでデスマーチし続けました.
- 8月: 論文仕上げ & サブミット. 忙しすぎて記憶がないですが, バカンスのシーズンで大学に人がいませんでした.
- 9月: 残り仕事を色々としてました. 月末に帰国.
3ヶ月のインターンのノリで半年間活動していたので, 終盤は燃え尽き気味になっていました.
住居
Cite U には日本館を含むたくさんの館があり, 私はオランダ館という場所に住みました. オランダ人には一人しか会いませんでしたが. 博士号取得者は見かけず, 恐らく学生しか入居していないと思います. キッチンは共用で, 各々がよしなに料理を作っていました. 居住者はヨーロッパ, アフリカ出身の人が多く, アジアはマイノリティで, フランス語話者が基本です. とは言っても彼ら彼女らは英語も流暢なのだけれど. 0Fにホールがあり, たまにミニコンサートが開催されていました. 良き.
(Cite Uの入口)
部屋は 14m^2 でベッド・机・シャワーが付いてました. こじんまりとして悪くないスペースだったと思います. 自宅と比べると家賃がとても高かったんですが, パリだと格安です…
(自室, 退去時に撮ったもの)
あと, Cite U内に図書館があり, 気分転換に使っていました.
食事
ソルボンヌの学食がとにかく美味しい! そして量があります. コスパも良く, お昼の楽しみでした. 天気の良い日に限定されますが, ケバブやサンドイッチを買ってセーヌ川のほとりで食べることも多かったです.
(メインは同じものを二度食べた記憶がないほど種類が豊富)
夜はパン屋で買ってきたパンにマーガリンやジャムを塗って, 何かつまめるものと合わせて, 簡単に済ませる日が大半でした. 最初の方は自炊していたんですが, 私にとっては共用キッチンが使いにくかった… パンにも当然種類があります. 代表的なものはトラディション, バケット, カンパーニュですが, どこで買ってもとても美味しく, パン屋めぐりが楽しかったです. 20店舗以上は回ったんじゃないかな.
総じて食費は抑えたつもりですが, 良いニュースがあったときには外に食べに行ってました. 屋外でご飯を食べるのはヨーロッパ的だと思うんですが, 日本にはない気持ちの良い習慣ですよね. スパークリングウォーターの良さに気づき, タルタルステーキにハマりました. パンの国だけあって, 添え物として出てくるバケットは他国のそれと比べても美味しかったような.
(タルタルステーキ)
観光
言うまでもなく, パリは観光都市です. 6月頃まで毎週土曜日を観光の日と決めて, カメラを片手にパリ周辺の色々な場所に行きました. こちら (重いので注意) にまとめてありますが, ここでもお勧めを書き残しておきます.
サント・シャペル
「聖なる宝石箱」とも呼ばれるこの教会は美しいステンドグラスで有名ですが, 夜にクラシックコンサートが定期開催されています. 素晴らしい体験でした.
カタコンブ・ド・パリ
およそ600万人の遺骨が納められている, パリの地下納骨堂で, 一生分の骸骨を拝むことができます. 華やかな街並みとは違ったパリの一面をどうぞ.
ロダン美術館
「考える人」など有名な作品が並びますが, 美術館の庭が素敵です. ぜひ散策してみてください.
シャンティイ城
パリ市内から北に電車で1時間ほど, 池に面した美しいお城があります. 写真の撮りがいがありました.
その他
- 物価は高い. 覚悟せよ.
- 観光都市であるが故に英語はそれなりに通じます. ただパン屋は無理です. ジェスチャーと片言のフランス語を駆使しましょう.
- 街中で「写真撮って」以外で話かけてくる人はお金関係です. 基本は無視しましょう.
- 電車のドアはボタン式のものが多いんですが, 場所によっては動いている最中に開けることができます.
- パリの信号は soft constraint です. 東京の信号は hard constraint です.
- エスカレーターはたまに止まっています. 歩きましょう.
- 電車・バスはおおらかな気持ちで待ちましょう. 遅延は普通です.
- 住居にもラボにもエアコンはなかったんですが, (通常)パリの8月は25度程度で湿気もなく過ごしやすいです. が, 温暖化の影響で40度の日もありました. 耐えたぜ…
- 街を歩けば大道芸人がたくさんいます. とても楽しい.
- マスクをしている人はほぼいませんが, 皆無というわけではないです. 電車等の交通機関ではマジョリティではないですが, 少なくない人がマスクをしていました. 大学の先生方のマスク率もそれなりに高かったです (学生はあまり付けない). コロナの影響を意識することはほとんどなかった気がする…?
- 美しいものにたくさん出会えました. ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」は大のお気に入りです. 何かの上界なんでしょう.
- 「フランス人は日本人と違って営業時間が明白」というような言明はある程度は真です. 土日にメールしても意味はありません. 研究者? そうでもない人もいる.
- モン・サン・ミッシェルはとても美しいですがとても混んでいます.
- 観光で 6月にバルセロナにも行きました.
(グエル公園の著名なトカゲ)
- 到着日前後は季節外れの雪でした.
- 論文を一本書き上げたというのは本当ですが, もっと大量に(ry
苦労したこと, 辛かったこと
言語はそれなりに苦労しました. ライティングはそうでもないですが, 残念なことに, スピーキングにおいて英語で表現できることは日本語のそれと比較して限定されています. 日常生活において妥協した場面はたくさんあったように思います.
辛かったことの代表格はお風呂がないことです. 私は夏でも湯船につかるタイプですが, 向こうの文化ではそのような習慣がなく, 住居にもバスタブはついていませんでした. 疲労が回復しにくい…
あと, 読書ができなかったのも辛かった. 紙の本を好んでおり, 当然日本語本は手に入りません(なくはないですが). 呼吸するように本を読むまでのタイプではありませんが, それなりに読む方ではあり, ダメージが大きかったです.
ネットワーキング
さて, 今回の留学の狙いの一つにネットワーキングがあります. アーリーステージの研究者にとって人脈は大事な財産 となります. パリは芸術の街ですが, ヨーロッパ交通の要所でもあり, 留学先を LIP6 にしたのはネットワーキングの面を重視していました. 指導教員からも「せっかくヨーロッパに行くのだから色々な場所を訪問すると良い」と言われていました. 一方で研究も進めたかったので, 前半戦となる7月初旬あたりまでは研究に没頭し, それ以降で外に目を向ける時間を取りました.
結論から言うと, この計画はそこそこに成功したと思います.
(観光も含めて訪問した都市)
まず, LIP6 内では学生・ポスドクの研究を紹介するワークショップで発表させてもらい (7月), これはとても評判が良かったです. 実際, 発表後に企業研究所の方と別日で打合せの時間をとっており, ジョブに誘ってもらっています.
また, 私の研究に強い関心をもっていたミュンヘン在住の方とパリで直接お会いすることができました. 現在, その方とは一緒に共同研究を始めており, 今度日本に来るのでホストします.
7月終わりにはウィーンで現地開催された IJCAI-22 に参加しました. ウィーンはパリから飛行機で2時間ほどで気軽に行ける距離です. 3年ぶりのオンサイトの国際会議ということもあり, IJCAI-22 はネットワーキングにおいて素晴らしい機会となってくれました. 本会議に論文が採択されていたので東京からでも参加していたと思いますが, パリにいるメリットはヨーロッパ内の研究機関であれば「今度遊びに行くね」という約束ができることで, その約束を履行できること です.
(会場 Messe Wien)
8月中旬には一週間かけてイギリスを北上しました. ロンドン, オックスフォード, ケンブリッジ, ニューカッスルと周って, エディンバラを観光して飛行機でパリに帰るコースです. なお, パリからロンドンはユーロスター(電車)で2時間ほど. ケンブリッジ大(Computer Laboratory)とニューカッスル大ではセミナートークを行い(1h, 30min), ロンドンやオックスフォード(Oxford Robotics Institute)でも個人的に研究紹介をして, 大変充実した旅となりました.
(ロンドンの夜景)
(ケンブリッジ大のComputer Laboratoryの所在地, William Gates Building)
9月初旬には IJCAI-22 の繋がりでブリュッセルに招待講演(1h)に招かれました. ブリュッセルはパリから電車で2時間かからない距離にあります. 招待してくださった方は今度東京に来ると言っていたので, 近いうちに再会できることでしょう.
(グランプラスの夕暮れ)
帰国間際となった9月後半には分散ロボットに関する招待制の学会 (MaC-22) がピサでありました. ピサはパリから飛行機で2時間ほどの距離にあります. この学会には指導教員も受入教員も参加しており, なかなかに変な感覚でした…
(指導教員がさりげなく入っている)
(アルノ川の夜明け)
という感じで, 研究だけでなく, パリだけでなく, 国同士の距離が近いヨーロッパに長期滞在するという機会を上手く使いました. こういった動き方は, 研究者個人としてのストーリーがある程度出来上がっており, 業績もそれなりに積んだ博士課程のこのタイミングだからできたのだと思います. もっとコネクション頑張れたのではいう声は甘んじて受け入れますが, 自分のことを売りつつ潜在的な共同研究相手をたくさん作った という意味において, 収穫は非常に大きかったです.
帰国してから
報告書の山と闘いました.
ヨーロッパの街をたくさん見た後に改めて東京を散策すると, 東京はとても大規模で独特な都市であることに気づきます. 留学中, 様々な国の人と話しましたが, どうやら Tokyo はクールな場所と見られているようです. 今ならその感覚も少し分かる.
締め
受入教員と一緒に研究ができて, また, ちゃんとアウトプットが出て本当に良かった. 彼は理論よりで私とは異なるタイプの研究者ですが, OSXインターン時と同様, 質の高い良いコラボレーションになったと思います. 今度日本に来るので再会が楽しみ.
初めての長期海外滞在でしたが, 一度重い腰を上げて海外に出て, ある程度はどうにかなることを知ると, 活躍の場を日本に限定する必要はないという感覚が芽生えました. これも収穫の一つですね.
最後になりましたが, 受入教員である Sebastien, JSPS 若手研究者海外挑戦プログラムの担当の方, 吉田育英会の担当の方をはじめとして, 名前を挙げたらキリがないほど多くの人に支援・協力していただき, 今回の話が実現しました. ここにお礼を申し上げます.
(遠い未来でパリ留学を振返るとしたら, この通学路が最初に思い浮かぶと思う. 毎日あーだこーだ言いながらアイデアを練りに練った場所である.)