前話: 博士課程あることないこと


自炊

「自炊しているんだ」「へぇー、何作るの?」「Something…, something potato」

間接的な言い回し

HW 曰く、私は間接的な言い回しをする人間だそうだ。 さもありなん。

対象読者

この文章はつまるところ一人のために書いていて、その人は恐らく読まないだろうけど、私はまだあがっていなくて、そういう姿勢を言い訳したかっただけ。 私を知らない人はこの文章を読むのが難しいだろうし、知っているのであれば読まない方がいいかもしれない。 そういう私書で雑記な四方山話。

始まり方

2022年夏、住んでいたパリから足を伸ばしてケンブリッジを初めて訪れた時、研究室主宰者の AP は「次来るときは長くいることになるかもね」と言っていた。 実際、博士号取得直後の2023年5月から、半分ポスドク的な立場で、ケンブリッジで約二年半を過ごすことになる。 この選択は突飛なものではなく、博士課程時にキャリアの話が出るとヒントなしに何人かは言い当てていた。 イギリスに引越してきてラボを再訪したとき、研究室メンバーの AS なんかはニヤッと笑って、短く「来たな」と迎えてくれた。 海外生活はパリに続いて二度目で、今回は仕事をしに来た。

通勤路

最初に住んでいた家の路地は Charles Babbage Road という名前がついていて、最古の計算機科学者チャールズ・バベッジに因んでいる。 そこに交差するように通っているのが JJ Thomson Avenue で、電子の発見に貢献したノーベル物理学賞受賞者ジョゼフ・ジョン・トムソンに由来する。 そこから Maxwell Centre を横目に通り過ぎて、もちろん電磁気のジェームズ・クラーク・マクスウェルに因んでいるのだが、コンピュータ・サイエンス学科が入っている William Gates Building という近代的な建物に辿り着く。 これは Microsft 創業者のビル・ゲイツの寄付でできており、彼の父親の名前がつけられている。 入口では、コンピュータ・サイエンスの徒であれば一度は触ったことがあるであろうラズパイのロゴを表示したディスプレイが迎えてくれる。 製造元である Raspberry Pi はもちろんケンブリッジの会社で、町中には世界唯一の販売店がある。 ここまで徒歩2分。

少し違ったことをする場所

ケンブリッジは人工知能開発のエポックメイキングな人物たちにゆかりのある土地である。 例えば先に名前が挙がったチャールズ・バベッジは、ケンブリッジ大のトリニティ・カレッジ出身であり、カレッジとは、ハリー・ポッターで言うところのグリフィンドールやレイブンクローのようなものだと認識しておけばよい。 他にも、チューリングテストで思考に思想を巡らせたアラン・チューリングと、深層学習の基礎を確立したジェフリー・ヒントンは共にキングス・カレッジ出身で、知能を解くことを目的とした DeepMind 創業者デミス・ハサビスはクイーンズ・カレッジ出身である。 AP 曰く、少し違ったことをするには最適な場所だそうだ。

絶望

デパートメントは市街から離れているので、ランチ場所は限られている。 そのうち一つが West Cafe という場所で、ジャケットポテトを提供する。 これはイギリスでいうおにぎりの立ち位置のようなものだと思っていて、芋を丸ごとオーブンに入れて焼いて、その上にケチャップ風味の豆か、チーズをかけて食べる。 ほぼそれだけである。 自宅でも簡単に作れるし、よく作っていたのだが、初日、West Cafe を訪れてジャケットポテトを食して、これを二年間食べ続けるのかと考えたときの絶望感はなかなかであった。 後にキャンティーン、つまり日替わりの料理が出てくる食堂が他にあると聞いて随分ほっとした。

ポテト

イギリスの主食なのでスーパーに行くと種類がたくさんある。 White Potato、Baking Potato、Sweet Potato には世話になった。 今では日本米をより美味しく感じる。

自転車

ケンブリッジは自転車の街であり、引越してきて最初に買うべきものは自転車である。 パリに住んでいたときは足をもっていなかったので、自転車に乗ってあちこちに出向くのは新鮮な経験だった。 行動範囲と自由度が少し広がって、たまにカメラを手に近場の草原まで出向いていた。 逆に自転車がパンクして修理待ちの間は心細かった。 盗難が多いので注意されたし。

スポンジ

到着当初はスポンジのように新しい知識を吸収していて、それが手に馴染むようになるまで一年ちょっとはかかった。 これからやりたい放題できる無敵の雰囲気はあるが、残念ながらそこで離れることになる。 そこそこ長くいて、そこそこ短くいる弊害である。

往復

忙しいときは家、研究室、スーパーの往復で生活が完結する。 一ヶ月続くとメンタルが壊れてくるので、そこからが本番になる。 スーパーは削ることができる。 買いためた芋でも食べていればいい。

ワークライフバランス

AS「私たちと違って普通は土日は休むし、年末年始はバケーションを取る」

ワークライフバランス2

何かを成し遂げたかったら、異常な量を働く必要がある。 AP もポスドク時代を経験していて、この期間が決して気の休むものではないことを痛いほど知っていて、博士課程時代の指導教員と違って、休むことも大事とは言わない。 それがとてもありがたかった。

他人の情熱を切り売りする仕事

職業に貴賤はない。 多くの人は生活を営むために、何らかの職を得て、金を稼ぐ必要がある。 何をして飯を食うかという選択を下すとき、ずっと昔からぼんやりと脳裏にあったのは、誰かが生み出す一次価値を、他人に分け与えるマージンで暮らしたくはないという否定だった。 他人の情熱で飯を食うなよということだ。 研究職はどうなんだと言われると、断定は難しいが、一次価値を生産できる可能性がある職業ではある。 かの有名な「ハッカーと画家」という本に倣うと、富は創るものである。

修行

ケンブリッジの冬はそこまで寒くはなく、雪は滅多に降らない。 とはいえ、真冬のシーズンにシャワータンクが壊れて温水が一ヶ月ほど出なかったときは流石に参った。 博士号もとって学生生活も終えたというのに、こんなサバイバル生活が待っているとは思わなかった。 修行は終わっていなかった。

招待講演

まだ英語も辿々しい頃、ケンブリッジ大のコンピュータ・サイエンス学科で講演する機会があった。 これは本来、話題の Nature/Science 論文の著者や、ビッグテックの CTO、ケンブリッジの教授陣などがスッと現れて講演していくような場であり、とても PhD とりたてのヒヨッコが講演する場ではなかったのだが、何の因果か枠をもらった。 発表前はビビり散らかしており、博士論文のディフェンスよりもよっぽど緊張していて、準備に相当な時間を使った。 終わってみるとどうにかなったとは思うのだが、それ以降は明確にプレゼンのレベルが上がった。 閾値を上げてくれる機会は貴重である。

差さない。

身につけるもの

昔と違って、少しはお金に余裕があり所有物を選べるようになった。 ただ、国を越えた引越を経験してしまうと、退去時のことが脳裏をかするようになり、大きなものを購入することはない。 学会などであちこちを飛び回っていることもあり、その結果、身につけるものがより機能的に、具体的にはより防水になっていくだけである。

ソーシャルバッテリー

昔と違って、学会を除き、数人以上が参加するソーシャルイベントには滅多に行かなくなった。 ソーシャルバッテリーは一時間分しか搭載していなくて、仮に参加する場合は事後のダメージが大きく、ベッドに倒れてアーとうねる状態が数時間続く。 もうそれなり年齢を重ねているので、自分の性質との付き合い方を学んでいる。

代償

昔は世間の色々なことにもう少し関心をもっていたけど、専門性と引き換えにそういうのを見ないようになった。 知的好奇心には限りがあって、そんなに器用ではないので。

麻痺

昔は論文や申請書が採択されたりなど、良いことがあったときにちょっとしたご褒美、例えばステーキを食べにいったり、スーパー銭湯に行ったりなどしていたが、最近はそうでもない。 論文を通すことは研究のプロセスの一つで、たしかにチェックポイントではあるのだが、それだけである。 もう感覚は麻痺していて、淡々と次の仕事に向かうことの方が多い。 ただ、どうしても割り切れない感情が吐出することもあり、そういうときに成長している。

フィッシュ・アンド・チップス

毎週金曜日のキャンティーンではフィッシュ・アンド・チップスが提供される。 言わずもがな、イギリスの国民的料理で、パブに行くと美味しいものに遭遇することもある。 毎週金曜日に食べ続けたので、今では食べると安心する料理の一つである。 また、フィッシュよりチップスの質と、タルタルソースの量が気になる。

チップス

人気な店は人が並んでいる。 理解できないこともある。

金曜夜八時

遅くまで研究室にいるという文化はなく、夜八時を過ぎるとほぼ人がいなくなる。 そんなことお構いなしによく残っている私と AS で、特に金曜夜に、二時間くらい色々なことを議論した。 その議論の中で出たいくつかのアイデアは論文に昇華され、いくつかは進行中のプロジェクトになり、いくつかは将来構想になっている。 雑談から研究が始まるという人がいるけれど、私も AS もそういう時間が好きだったのだと思う。

カメラ

博士課程のとき、十年続く趣味を育てようと思い立ち、Sigma fp L というミラーレスカメラを買った。 オートマチックに使いやすい機体ではなく、人に勧めたことはないと思うのだが、マニュアルで露出を調整していると稀に息を呑むような風景を切り取れる。 頻繁に外出する人間ではないので、今でも写真の腕は素人に毛が生えたレベルに留まっているが、これは趣味なので下手の横好きでいいのだ。 そう思っていたのだが、論文用途で撮影を頻繁にすることになり、ゆるく鍛えていたスキルに助けられることになる。 趣味が仕事に交錯するのは楽しい。

構図と露出

写真を撮る際に意識する話ではあるが、論文にも存在する。 はじめからおわりまで緊張感のある展開が望ましく、内容によって何をどの順で語って、何を語らないかという"構図"と、文章の浮き沈みや論理のぼかし方といった"露出"も変えるものだ。 他人が作ったテンプレートに従う必要はなく、そういう展開しかできない人を見ると残念だなと冷めてしまう。

情景が混じる

仕事柄、色々な国に訪れており、ふっと頭に浮かぶ情景がどこの国のどこの街のものだったか混濁して思い出せなくなってゆく。 昔読んだ本からの空想も混じっているのかもしれない。 そうであれば素敵だと思う。

両親

イギリスにツアー旅行で両親が遊びに来たので、ケンブリッジとロンドンを案内したら存外喜んでもらえた。 それまで家族で国外に行ったことはなく、不思議な感覚だった。 私はこれからも色々な国に行くのだろうけど、イギリスも何度も訪れるのだろうけれど、そうでない人たちが大半なのだ。 大学に入るまで飛行機に乗った記憶もなかったのに。

壁の向こう側

特殊だったコロナ中の博士課程を経て、海外をファーストキャリアとして選ぶと、修士課程の頃も含めて修行期間が人より随分と長くなる。 そんなに器用な性格はしていないから、その間、本業以外のことは考えられない。 するともう年齢も年齢だから、周りの人たちはライフステージを進めて徐々に連絡がつかなくなり、または時間の経過を見せつけられる出来事にも遭遇するようになり、壁の向こう側にいるように感じることになる。 普段気にしないようにしていても、ふとした瞬間に、いつまで頑張れるのだろうか、いつまで頑張っていいのだろうか、そういう不安と焦燥と孤独と寂寥とが入り混じって押し寄せてくる。 でも、そういうのはずっと前から承知していて、その上でずっと選択してきたんじゃないかと、感情の板挟みになる。

リュブリャナ深夜

2025年1月、大きいプロジェクトが終わって東ヨーロッパに旅に出た。 旅路の途中、スロベニアの首都であるリュブリャナという場所に四泊して周囲の散策をして、あれこれ思索を巡らせた。 これまでのこととこれからのこと、研究のことと人生のこと。 本当はその年の5月にケンブリッジを離れる予定だったのだが、夕食を食べながらふと、もう少し頑張ってみる選択肢があるのではないかと気づいた。 そして深夜に、もう半年、ケンブリッジで研究を継続することを決めたのだった。

もう一度の始め方

2022年1月、博士課程2年目の誕生日は気分が最悪だった。 もう26歳にもなって何も成し遂げていないじゃないか、そういう気持ちでぐちゃぐちゃになって、ボロボロ泣いていたのを覚えている。 当時、学位取得は見えていて、次のステージをどうすべきか考える必要があった。 最初に考えたのは、博士課程を終えてプラス2年程度であれば、これまでと同じ情熱とスピードを維持して頑張れるだろうという見積もりだった。 そして、ボロボロ泣くくらいなら、まだ頑張りたいのだろうという推測だった。 そうであるならば、それに相応しい舞台を具体化して設置すればいい。 ただ、これまでの延長線のような環境であれば、きっと惰性で頑張れてしまう。 それは嫌だったから、環境は劇的に変えて、まったく知らない土地で、ほぼ誰も知らないゼロの状態から再出発しようと考えた。 あとは研究の相性を前提に、文字通り世界中の場所を検討して、一番似合っているところを選ぶだけ。 そうやってケンブリッジに来たのだ。 だからリュブリャナ深夜に、もう一度賽を投げることができるのだ。

Yes, no

英語で否定形の同意は No と答えるのが正解だが、日本語とは反対なので Yes と答えてしまいがちである。 RJ は Yes の後に即座に No と続ける言い回しで混乱を回避していた。 我々は雰囲気で会話をしている。

通勤路2

次に住んでいた家は駅の近くで、デパートメントまで 20 分ほど、街の真ん中を自転車で突っ切っていくことになる。 途中にパーカーズ・ピースという芝生が広がる公園があり、日照時間が長いシーズンの帰宅時には途中で立ち寄って寝転んだりしていた。 そういう時間は好きだった。

暮らしの理想形

引越し先は小綺麗で天井が高く、開放感があり、かと言ってあまり大きすぎることもなく、手が届く範囲に必要なものがあって、素敵な庭もあり、リンゴやミニトマトが植えられていて、仕事をするには向かないものの、暮らしの理想形の一つ。

目の下が重い

原稿締切前後で疲労困憊のときは目の下が重くて目が開けていられない。 同僚に"I’m dying…“と言ったらゲラゲラ笑ってくれた。 周囲の人たちは私の性格をよく把握してくれている。

学会

博士課程の頃に参加していた学会は心細かった覚えがあるが、最近は上の世代からは頑張ってるなと言われ、同年代と一緒にポスターを回り、下の世代からは質問を色々受けたりする。 コミュニティベースの小さな学会に行くと"You’ve really changed the game"という言われるなど。 そうだと思うけど、まだ足りないので辞めていない。

情熱と執念

「なぜそんなに頑張るのか?」と聞かれたとき、パッと回答できずに誤魔化した。 「対象に憧れて」や「好奇心から」といいったポジティブな感情を燃料に物事に取組むことはずっとしていない。 そういった純粋な情熱がいつまで続くのか疑問に思っているし、不幸な展開が続いたとき、ぽっきり折れてしまうことを恐れている。 だから研究のような長期の活動を推し進めるのは、口に出すのが難しい泥々したネガティブな感情であって、そうであれば燃え尽きはしないと思い込んでいる。 情熱は消えるが執念は残る。

ラベリング

優秀な人は消えてゆき、情熱がある人と一緒に仕事をするのは楽しくて、執念がある人はこっち側の人間である。

摩擦

GY曰く、摩擦は味方で敵でもある。なければ立ち止まることはできないが、あるからもどかしく進むことになる。

スケーラビリティ

最近は十数個のプロジェクトが同時に走っていて、自分で手を動かす時間が限られており、共同研究者に方向性を示すのが主な仕事である。 そこでよく「これは解けるはずの問題で」と口にするのだが、要するに自分では実行できないが、その方向に労力を割けば収穫はあるだろうという見積もりに該当する。 こういう発言をするとき、チームにバイアスをかけるという研究活動の進め方があるのだと実感するようになった。 自由度が高い研究活動において、時間は資産であり、一人でできることは限られている。 スケールする方向を探している。

メインライター

ファーストオーサーではないが、論文をメインで書き上げることが増えた。 執筆は習得に時間を要する技術であり、教育の職にはついているわけではないので、研究の進め方としては効率的である。

最前線

博士号もとって学生生活も終わり、ケンブリッジで修行を重ね、分野内で研究も著名なので、違うコミュニティの人に向けて分野を代表するポーズを取る機会が増えた。 AAAI のシニア・フェローには「お前はもう引っ張っていく側だからな」と言われ、招待講演で大衆向けの話をすることが増え、分野紹介のブログや本を書き、といった塩梅である。 するとどうだ、お前が研究を頑張らないとその分野が発展していかないという自惚れが生じる。 実際、これは半分間違っていて半分合ってもいる。 間違っている理由としては、もう手を離れている研究もあり、自分が手を動かさなくても世界の何処かで誰かがやりたかったアイデアを詰めてくれていることも増えている。 一方で合っている理由もあって、結局、研究対象に対する解像度が一番高いのは自分で、この方向にエフォートを割くべきだと思ったら自分で推し進めないと、最高の精度の作品がワクワクするスピード感では出てこない。 最前線にいるとはそういうことだ。

強者

弱者のフリをしないこと。 事例の伝道師をしないこと。 一回の成功に固執しないこと。 敗北に慣れることと、それを受け入れないこと。 何回も成功を繰り返すこと。 それを当たり前にすること。 戦闘民族であること。 短期の評価を気にしないこと。 王道で勝負していくこと。 他人にこれが正解だと信じ込ませること。 ヴィジョナリーであること。 やるべきことをやれ、なすべきことをなせ。 強者であらなければならない。 もう、そういうステージである。

去り方

2025年12月、ケンブリッジを離れるとき、時間をかけながら自分に折り合いをつけて、静かに去ろうと決めていた。 淡々と、あくまで一つの通過点でしかなく、派手なお別れはなしに、それこそそっと去ることが日常のように。 オフシーズンで自然と人がいなくなる時期にフライトを調整して、少しずつ身辺整理をして、自転車などの私物を処分していった。 AP とは今後も仕事が続くが区切りの場を設けてもらって、ほか一緒に研究を進めた人たちと握手をしてジョークを言ってお別れをした。 フライト前日は町中を散歩をして写真を撮り収めた。

もっとできたはず、でもこれ以上もできなかったのだ

後悔は多い。 もっと研究に時間を割いて頭を悩ませて、もっとコードを書いて、試行錯誤して、質に拘って、インプットとアウトプットに貪欲になって、アウトリーチもネットワーキングも頑張って、ああすれば良かったこうすれば良かったと思うことはいくらでもある。 でも当時は目前のことに必死で取組んでいただろうし、それ以上のことができたとも思えない。 一方でもう少し先の景色を見たかったなと考えてしまうのも事実である。

本帰国

諸々がリセットされて、住む家もなく、相変わらず旅装のままで、ただ目前の仕事はあるので漠然と時間を過ごしていたが、博士課程時代を過ごした目黒で、青い服の友人と一緒にご飯を食べて、日本に帰ってきた実感がやっと湧いた。

あっけなく次が進行してゆく味

大風呂敷を畳んだ後にあっけなく次が進行してゆく味というものがある。 例えば「ニューロマンサー」の最後でウィンターミュートがアルファ・ケンタウリ系に言及するくだりや、「インターステラー」のクーパーが最後エドマンズの惑星に旅立つくだり。 次の枠組みはもう始まっていて、余韻なく話は進行してゆく。

最低な経験と最高な経験しか要らない

常時ギリギリのラインで張っていると感情が摩耗していき、極端な出来事でしか情動が生じなくなる。 自力で制御できないことへの期待度は小さくなっていき、日々を淡々と消費するようになる。 喜ばしいことがあっても次が見えるようになり、芯から熱くなることは難しくなる。 冷めている? そうではない。断じてそうではなくて、むしろ、ここまで到達したいというイメージがあって、そこまでは感情の出力を抑えて、ノイズで折れないよう身をかがめて前進している。 欲しいものは選ばないといけなくて、私は、ずっと掴めなさそうな最高の経験と、幻想をぶち壊してくれる最低の経験があってくれれば、それで幸福になれるのだと思う。